31 生き物の体は粒で出来ているのか?波で出来ているのか?
友惠は武術家の甲野善紀氏が「凄い。他のメンバーと全く違う」と絶賛するように、驚異的な身体能力の持ち主です。「先生がこれだけ凄いと、皆さん大変ですね」と甲野氏をして言わせます。
しかし、この言葉は甲野氏が、友惠の身体能力は天性のもので、教えられるものではないことを指摘するものです。
より汎用性の高いメソッドを確立し続けようとする友惠は、甲野氏の言葉に自身の至らなさを感じ罪責感を募らせることになります。
甲野氏に私達の公演にゲストで共演してもらった折、即興コラボのシーンで「彼(甲野氏)は、うちのメンバーより、パフォーマンス能力に長けている。独りで潜ってきた人は、やはり違う、と関心している場合じゃない。このままじゃシーンの構成バランスが崩れて、作品として完結しない」。ゲストでお呼びしたサックスの巨匠、坂田明さんとうちの踊り手一人との最後のデュオシーンを調光室で見守っていた友惠は焦ります。
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甲野善紀氏、坂田明氏と友惠しづね
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「拙(まず)くない?」と訊かれ「それまでのシーンが飛んじゃうわね」と呟く私の言葉に、友惠は走り出します。照明家に指示を出し、既に出番が終わって楽屋に控えている甲野氏に「もう一回、(私と)いきましょう」と促します。
その公演では友惠の出演予定はなかったのですが、甲野氏はすかさず立ち上がります。
予想外の展開でしたが舞台で演奏する歴戦錬磨の坂田さんが、この程度のことで動じる筈はありません。かくて公演は観客共々カタルシスを得て無事終了します。「危なかった」と、友惠は吐息を漏らします。
「即興」というと、表現者に天啓が下り潜在的な自己を発露させる魔術的な表現方法をイメージする人もいます。
「そんな神懸かり的な方法は無い。綿密に計算された作曲、作舞も即興作品も、求めることは必然の形。それを成就するためには、どちらも日々の忍耐強い努力が足場になるの。
スコア化された作品でも一期一会のライブの場に対応させるには、その都度、演者の即興的心遣いが命綱になる。
オンステージで一回性の作品を創ろうとする『即興』も偶然性(ギャンブルのビギナーズラックは一回しかない)をエレメントにしたところで、それを表現として取り込むにはコードが必要になってくる。
形と即興は対峙するものではない。両者の関係は腑分けなど拒絶する断固とした親密さで結び合っている」と、友惠は言います。
これはアートに限る見識ではありません。形と即興の織り成す綾は人間は勿論、生きとし生ける全ての生き物達が産み出し続ける正解の無い方程式です。
生存=生活環境との淘汰を伴う絶えざる即興的葛藤から形は成されます。そして己の形への誇りを堅持します。路傍に生える雑草や石くれさえも。
形と即興、此岸と彼岸の「間」にぶら下がるそれぞれの詩嚢の重さ、その暖かさが個性と云われるものの総体です。では「間」のバランスは何者がとるのか?
「たまには神様にもいて欲しい」と、友惠は呟きます。
私達の、友惠しづね作曲音楽による作品では踊り手は振り付けを全うすることが求められます。
舞踏の体は構図に還元しようとする西洋舞踊と違ってせせらぎ波打つ皮膚の微細な胎動の中に豊饒な情緒を醸そうとします。
それは常に踊り手の体を取りまく舞台環境(共演者、音楽、美術など)に浸潤することで呼応しようとします。ですから振り付けは踊り手の体のエッジを浮き掘る鎧になっては駄目なんですね。
団員の体の感性と舞台環境への即応能力を鍛えるという意味もあって、友惠は当団体結成当初から多ジャンルのアーティスト達との即興コラボレーション公演をやる訳ですが「即興能力というのは同時に統合能力も含む訳で、相手に食べられながら相手を食べ尽くすくらいの、したたかさもないとなー、・・・叩き上げ(お座なりの方法論に頼らない)じゃないとできないのかなー」と、舞踏メソッドの確立を追求し続ける友惠には悩みが増えます。
ただ、「ライブ現場での即興性を重視したパフォーマンスから始めると、知らぬ間に観客の嗜好性に合わせる要領が身に付き、表現はリミッターが掛かり早急にパターン化する。アートの純粋性、革新性からは遠ざかる」とも。
32 歴史とかいう罫線
「'60年代、実験的パフォーマンスから始めた土方の活動は、'73年の渋谷西武劇場での失敗から即興表現の限界を感じ取り、自らは舞台に立つことを止め、振付け、演出家として舞踏技術の形化に取りかかった。
そこで採られた方法は、振付けの形の必然性を保証させるために既にアート史に定位している古典絵画中に描かれている人物、動物の、踊り手の体への模写だった。他ジャンルのアート作品をモティーフにすることは創作に新たな契機を
齎
すことで有用な手段となる。
しかし、美術雑誌を傍らに置き、踊り手の体と
相
対し指示を与える当の土方自らは踊っていないことが問題になる。一定方向からの視座による振付け方法は、人の体の構造を蔑ろにし、踊り手の体を鋳型に嵌めることで生き物の体が本来備える自在さを奪うことになった。本人はそれに気付かない。
またタブローという小さな額縁に収まる平面画面からの模写に専心するあまり、踊り手の体が生きるべき多様な舞台環境(狭い稽古場と違い、一般的な劇場の舞台スペースは奥行きも高さもあり、広い)との関係は無視される。
土方の振付けで踊る踊り手を一般の劇場(稽古場よりほんの少しでも広い)の舞台に立たせた時、踊り手の体は薄い紙っぺらを吊り下げたように希薄に観える。踊り手の体と舞台空間との関係は脈絡が無いものとなる。
それぞれ手に負えない癖や優しさを携えた劇場は、そこに出演する踊り手の体を契機に自らの多彩なポテンシャルを発揮しようとします。
環境とは生き物と共存してこその環境。互いの息づかいを交感することで見えないものが時には清澄に時には厚かましく己の姿を顕現する。両者の睦み合いは、私達の日常生活からは隠蔽されがちな永遠や死をも生をも躍動させるエレメントとして働き掛け合います。
舞台空間を一つのパースペクティブに還元するスペースとは捉えない。日本文化の面白さは、全て在るからこそ何も見えない『空』を己の住処とすることにあります。
環境と生体との関係を軽んじると、舞台は当たり前のように瓦解します。実際に生きている体の属性を無視した観念からの行為は大事な友人にもソッポを向かれる。そのことに遅ればせながら気付いた土方は、あせります。
そこで演出により、この状況を打開しようとするけど、時すでに遅し。思い付き的な方法も焼け石に水。元々、踊り手への振付けと舞台演出は個別に捉えられるものではない。踊り手の体と舞台環境は不二と捉える友惠舞踏では振付けと演出とは腑分けできないほど密接な繋がりを持っている。
生き物の体は常にその生存環境との寄辺ない切ないまでの親密さを伴にすることで生きている。横歩きする蟹の鋏、地面を這いつくばるムカデの足、人間に引き抜かれないために地中に絡むリゾーム状の雑草の根は必然性を備えた確かな形。観念のジグソーパズルのパーツを組み合わせたからといって成就できるものではない。其処では永遠に恣意性を免れない鑑識眼は何れ程、役に立ったのか?
やり切ったと想って死ぬのか、泡を食って死ぬのか。畢竟、人には二つの人種がいる。
ある生き物が人類というカテゴリーにアイデンティティーを求めるなら、そのカテゴリーの定理(演繹法による信仰、帰納法による個の経験値の分析に関わらず)には両人種がそれぞれ準拠する予想屋の教典に導かれた生活上の思惑が絡み合い、歴史とかいう罫線が引かれる。何れにしても一人にたった一つだけある体は、その升目を穴埋めする言葉に頓着する暇はない筈だが・・・」。
「人間一度は死ななくちゃいけないんだから」との私の言葉に友惠は、「あなた、開き直る割には現世の欲だけはしっかり持ってるね。食欲旺盛だし」と笑います。
「アートは自分という個を探求することで普遍へ辿り着こうとする。思考による方法の限界は哲学の終焉で証明済み。よりトータリティーな人間観が必要になってくる訳だけど、所詮一人の個を触媒にするのであれば、あっちへ行ったりこっちへ来たり。とてもじゃないが凛々しい座標軸を明示できるものではない。
『利他』を理念とすることにおいてはアートは政治と同じだが、常に
公
に対する政治と違い直截的な主張は言語コードで括られることを潔しとしない知覚に関わるアートにはそぐわない。
了解ではなく浸潤し合うことによって成立するアートは、その多様さ故に伝達速度を遅延させることで持ち前を発揮する。しかし、その特性は功利性からは見捨てられる小さくとも確かな呟きを掬い穫り、より豊饒な人間観を醸造させもする」。
33 創作に終わりはない
「空気の一点まで演出する」と言われるような透徹した創作方法を体得する友惠です。友惠は「舞台上の光や音と浸潤することで生きる踊り手の体は、その有り難さを忘れると直ぐに固形化しちゃうのね。
生き物の体は環境を背景とは捉えてはいない。
舞台空間を単なる取り替え可能な背景と看做すと、体のエッジが際立っちゃうの。写真のフレームに収めるような見方をする人には一見、存在感があるようにも映るけど、際立った体のエッジは早急にパターン化して時間と会話できず物語は止まってしまう。
体は観念的ビジョンで措定されることは嫌うの。今、生きている環境から空気いっぱい吸いたいの。動植物問わず生き物の体の形は、写真栄えのするポーズによって出来ている訳ではない。
目黒の準工業地帯に住む喘息持ちの私は空気には敏感なのね。自宅の隣はメッキ工場で、そこが排出する化学物質の煙が喘息のトリガーになることは確実なの。路地を挟んだ向かいのドでかい板金工場では朝8時からガッチャン、ガッチャンとリズミカルな騒音を奏で私の気管支が発する狭窄音をかき消す。寝床で15cmほど開けた窓から見える景色はズーッと同じ。苦しくて、背中を摩って貰おうと、隣室で寝ている下半身不随のおばあちゃんを呼ぶ『助けてー』の声も届かない。
神頼みするより引っ越せば、とっくに治っていたのに、そうもいかない。
お正月やお盆休で工場が休みの時の空気の粒子は、それこそ一粒ずつ艶かしいほど清涼で、王朝文学で云う『
後朝
の残り香』をも感じさせた。
舞台は何も
鯱張
ばった特別な場所ではない、飽くまでも日常とパラレル。KYも大事だろうけれど、実際に呼吸する空気の質こそ大事。生体の死活問題に関わってくる。空調や防音装置が施されている劇場って、ホント、贅沢空間。昭和レトロのデパート、銀行、パチンコ屋を思い出す」。
実際の創作現場では思いもかけない問題が次から次へと湧き出てきます。
稽古では、その問題を一つ一つ解析し、乗り越えるためにあらゆる試みをします。創作という作業はある一点を求めるために、結果として複雑化していくものです。
そんなプロセスを踏む中で、後付けでメソッドというものは生まれてきます。
友惠はどんな場面でも手を抜くということをしません。「一度手を抜くと癖になる」と言います、「例え世界を敵に廻しても手を抜くな。それは自分という人類を蔑ろにすること」と。
これさえやればオールマイティーというようなメソッドはありません。個々人、それぞれ抱えている問題は身体的にも精神的にも違いますから。
「セカンド・オピニオンじゃ足りないよ。三つ、四つ、五つ・・・と。どんなに権威があろうと他人の意見はとかくご都合主義だから、いちいち自分の体と心で精査して全体を再統合していくの。レシピ通りには運ばない。
ホルモン注射を打っている二丁目のオカマに『永久脱毛したんだって?』と尋ねると、彼『永久脱毛っていうのは、永久に脱毛しなくちゃいけないってことなの』と大げさに笑いながらドデカい掌で肩を
叩
かれる。アートも同じだと想ったよ。
『お着物、お似合いですね』と、お愛想を言ってみれば『それって、歳とってるってことでしょ』と怒られる。舞踏の
十八番
の意匠『裸』(特に女性の場合)も年齢制限があるのと同じだけれど、彼等も大変だよ。
クリスマス・イブにディズニーランドホテルのデートに誘われたの。一人20万円のコースだけど私の分も出すと言うから気軽にOKしちゃったの。数日後、店に行くと、彼は『4発はやってくれないと』と平然と言うのね。青くなった私は丁重にお断りした訳。何事も自分の体と心に相談していかないとね。
妄想を膨らませていた彼、傷ついちゃったみたいだけど、タフだから。相手はノン気と切り替えも早い。だから畳二畳ほどの超狭いスペースで踊られるショーダンスの羽飾りに彩られた体は酔客からはいつでも輝いて見える。しかし彼等(それぞれの体質による)は店を閉めた黎明の中で、永久の筈の脱毛の肌から髭の浮き具合を入念にチェックする。ケアーのポイントは十、二十、三十・・・と増えてくる。その作業には終わりがない。永久に」。
土方時代にはお酒を飲まなかった私ですが、友惠と付き合うようになってから二丁目にも出入りするようになりました。二丁目には私達も出演したことがある小劇場のメッカであった「タイニイアリス」や友惠が出演していたジャズ・ライブの老舗「新宿ピットイン」が三丁目から移転してきましたが、「仲通り」には非日常的なファッションを装うドラァグクイーンが闊歩するなど、町全体が劇場空間のようでした。
花園町で美容院を営む私の実家は、ここから歩いて数分の距離でしたが私には縁の無い処でした。新宿公園が特殊な社交場であることは何となく知っていました。「あそこは、口だと二千円らしいよ」と友惠。
土方時代、六本木、赤坂のクラブでショーダンスをやっていた私は同業者の店には興味を持ちました。「舞踏の勉強にはアカデミックなものより、こっちの方が役にたつ。彼等(出演者)みんな、性根が座っているからね」と、友惠はヒョッコ、ヒョッコと店を流転します。何故か、深夜営業の蕎麦屋が数店あり、蕎麦好きの友惠(昼間からでも飲めるからと年間100回以上通う)と束の間のブレイク。
雑居ビルの狭いカウンターだけの店には、その中にズラッとボーイズ系が並んでいます。ジャニーズを想わせる男の子もいます。「○円で買えるけど、幻惑されちゃ駄目。彼等、アウト・ジェンダーを装っているけど実はノンケが多いの。相手が女性だと良いように廻されちゃうよ」と友惠は忠告します。隣に座るママ(30代の男性)と楽しい会話をして、数ヶ月後に行ってみるとママが替わっています。「あれ?どうしたの」と訊くと「死んだの」と。友惠は「分かる?性が絡む世界では、こういうことも平気で起こるの。
純粋さが生存のネックになる場合もあるよね。親密な愛の速度は地球規模での戦争さえ引き起こし兼ねない。・・・我々幸せだね。何時でも戻れるところの曖昧さを身に携えている」と。
34 光速で舞踏を進化させる多彩な活動
私は土方時代には音楽家とのコラボレーションは経験したことはありませんでした。
友惠を「阿部薫('79年に29才で自殺した伝説のサックス奏者)以来の天才」と評した、日本のフリー・ジャズ、即興音楽界の嚆矢、コントラバス奏者の吉沢元治氏(友惠とは親子ほど歳が離れ、土方と同齢)と友惠が即興デュオ・グループを組んで活動していた関係から私達は音楽家達との付き合いも多くなりました。
友惠が私達カンパニーの主宰者になった年、'87年にはNYコンテンポラリー音楽界のトップ・サックス奏者のジョン・ゾーンらをゲストに招きコラボ公演を行います。
当時、メンバーは皆舞踏家としても素人で、ましてや即興など経験した者は一人もいませんでした。
踊り手は、与えられた振付けだけに充足する癖が付いてしまうと、ライブである公演に参画するための最も重要となる技能・主体性が育成されないとの理由から、身体表現の初心者をも導くために友惠は「舞踏と即興音楽とのコラボ・メソッド」を創案し、その方法を瞬時に確立してしまいます(「友惠舞踏メソッドによる『ポスト・フリー・コラボ』」友惠しづね参照)。
「即興コラボは音楽家にとっても踊り手にとっても出会い頭の恋愛みたいなもの。筋書きはいつでも新鮮じゃなきゃね」と友惠。
今でも即興の稽古では友惠は私達に丹念に教えます。
「自分の背骨の曲線の流れを常に感じていること。演奏家の音が体の全方位にいるように見えるよ。
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画:友惠しづね |
ニャンちゃん(私達と同居する猫)の背骨の流れは宇宙の罫線。その升目は人間ごときの使う言葉では埋められない敏感さを備えている。表現に観念が先行すると背骨の流れがゴツゴツするよ」。
ギターを抱えながら踊りの手本を観せる友惠は、身勝手なコードに搦め捕られている私達の体と真剣に向かい合ってくれています。
私が即興で迷ったらどうしたらいいんですか?と訊くと、「今、死ぬ、と想えばいいんだよ」と一言。
実際の舞台では抽象論は通じません。具体的な方法を模索して分り易いように、その都度新たな稽古法を提示してくれます。
友惠の即興の稽古は具体的で実に楽しいものです。自由にやれと言われると、皆それぞれの本質、資質があからさまに露呈します。他のメンバーの踊りを見ていて、次に自分の番だったらこうしようと緊張しながらもウキウキします。「人の振り見てわが振り直せ」。これが友惠舞踏の基本となります。
「7分1サイクルで、3パターン。都合20分できればプロ」。即興舞踏を謳う大野(一雄)さんの場合は息子さんと二人でやっていますから、衣装替えでインターバルをとっている。適正な時間を超えるとどうしてもパターン化しちゃう。
パフォーマー系の舞踏家でプロとされている人(殆どいない)でも、例えば公演が1時間の場合、初めの30分以上は間持たせ(例えば動かないポーズ、彫刻的なオブジェを演じる)で、後は予め準備してきた勿体付けた動きで引っ張る。白塗りメイクでもしていれば、その異様な意匠は何か有りげにも観えて、前時代のポスト・モダンとやらをパラダイムだと信じている観客は幾らでも騙せる。
共演する演奏家の中にも舞踏の白塗りメイクに幻惑される人は少なくない。
私の場合は白塗りメイクの意匠上の効果を含めて舞踏は体で知悉しているから、共演者の内情は一瞬で読めちゃう訳。騙される筈もない。
しかし表現から一切の掛け値を払拭するために白塗りメイクもせず、体一つで相手を受け入れることから始めようとする私達と共演するアーティストの中には、『友惠しづねスタイルの舞踏家を見つけることは不可能』と切実に吐露する方もいる。
人生に対して融通が効かないほど生真面目な人は、そのバリエーションは多様だろうが避けて通れない課題を抱えることになる。そういう人が相手だと、こちらも学ぶものは必ずある。
コラボで明らさまになるのは、技量よりも共演者自身の生死観に根ざした世界観、人間観の全て。
産まれて来た人間は必ず死ぬのは、幾十万年来の人類の公理。私のように生来の病弱で子供の頃から死に向き合ってきた者は例外かもしれないけど、若いうちはそんなこと考えない方が幸せだよね。しかし年功序列で親は先に死に、病気や事故で亡くなる友人も増えてくれば、人は嫌でもそれを意識するようにもなる、ましてやトイレも一人で行けなくなれば。『生老病死』丸ごと堪能する諦観でも持ち合わせていれば別でしょうけど。
最近の
流行
りの『終活』も人生のトータル・プランとしては合理的ではあるけど、戦後日本の資本主義社会の流通システムにパッケージングされ切られるものなら、寂しい。
人間の『存在』とやらをアートのモティーフにしようとする舞踏家を自称するなら、先回りして『死』を取り込んでもいいんじゃないかな。一回死んでないと生はアクティベートできない。何回死んでも、その都度復活すればいい。
体を持つ全ての生き物にとって健康は己の幸福の確かな指標。だからこそ、それを得られない人への情愛は
一入
の筈。しかし、有る人には見えなくて無い人には見えてしまうのが浮き世の
性
。『有る』と『無い』が互いを思い遣り睦み合う景色にこそ詩情が芽生えもする」。
病弱な友惠は何より健康に憧れます。十代の時にも一回自殺未遂をしています。「何故、健康な人がわざわざ暗黒と銘打つ不健康な表現をしようとするのだろう?どうせ見え透いたことしかできないのに」。
一呼吸の内に共演者の人間性、演奏パターンを読み切れれば、前衛と云われる即興コラボといっても難しいものじゃないと友惠は言います。
「相手を見切る目、相手から見られていることとの正確な距離を計る目、両者の関係を自分から離れたところで見ているもう一人の目。この三つの目が必要。
最後の三つ目のもう一つの目、これは何者の目なのか?演者には直接的に何を指示する訳でもなく、見守るのでもなく只見ている目。ただ、この目なくしては・・・もしかして何にもなくなる」。
35 即興コラボのアンサンブル
友惠の稽古にストップウォッチは欠かせません。メンバーの踊りを観ている残りのメンバーはそれぞれ手にストップウォッチを持ち、飽きたところで手を挙げながらボタンを押します。2分○秒、3分○秒・・・。半数以上の手が挙ったところで踊りはストップされます。7分がゴール。
踊り手にショート・スパン(殆ど数秒)で切り換えられる振りの流れと一回性のライブに於ける体と環境が相互依存的に醸す密度の変化、全体構成と時間との関係を把握させることが目的です。
実演する踊り手にとってはプレッシャーが掛かることです。だいたい3分目位から容赦なく手が挙り出します。これは振付けによる公演の主役を担う踊り手のセレクションにも使われる方法です。
「私は20分以上即興をできる踊り手は一人も知りません」と、友惠は言います。友惠の作品構成は7分を1シーンとすることを基本とします。これは観客の入力知覚の生理反応から友惠が引き出した数値ですが、この7分が難しい。20分は7分×3シーン分ですが、長くなってくると踊り手は自らの力で序破急、起承転結、押切りなどの方法を駆使して一つのドラマを創ることが要請されます。「やる気だけじゃ、どうにもならないし、開き直ったところで奇蹟は絶対に起こらない。演奏家からは即見切られて、良いように廻されるだけ」。
終わり方は共演者と呼吸を合わせなくてはなりません。これが体の感覚で分らない人は止めた方がいい。「お一人でやったらっ、てことになっちゃう。KYは最大公約数。音楽家は誰も最小公倍数でのアンサンブル=調和を求めているの」と、友惠。
「ただ、音楽家と違って、舞台で体を晒し続ける踊り手の体には楽譜でいう休符表現が難しくなってくる。意識は体の内だけじゃなく外にもあることが分かればね。そうなれば舞台で寝てるだけでも共演者とのアンサンブルは成立する」。
今日という日が終わり、
褥
の中で観る束の間の夢の世界にも体の実在感は欠かせません。生き物は夜、育ちます。
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