X JAPANというロック・グループのhideさんから私共舞踏団にCDが送られてきたのは1992年のことでした。ところが、私どものメンバーは既にメジャー・デビューしていたそのバンドのことを誰も知りませんでした。その頃、日々自分たちの踊りの創作に追われていた私共は、きつい稽古の合間に送られてきたCDを聞いてみました。
上半身裸の男性の姿が、丁度磔刑にされたキリストのように映っているジャケットです。私自身もフォーク・ギターを弾き主に即興ジャズ・マンと付き合っていましたが、ジミ・ヘンドリックスやジム・モリスン、デュアン・オールマンなど、海外のロックも大変好きでした。ある時代アイドルたちが、これでもかというくらい早死したジャンルです。
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ドラムのミキシング・バランスが随分、大きい。(このグループはドラマーを中心にプレゼンテーションしているのかしら?)それとなくドラムにだけ耳を傾けると、(早い)。外人ドラマーの巨体からくるドスは無いが、その分シャープで緻密だ。一人納得しながら、他のプレーヤーの音に聞き入る。
hideさんと私どもとの関わりはX
JAPANライブ・ビデオ「破滅に向かってVISUAL SHOCK Vol,4」から始まりました。それは、音楽に留まらず美術、映像、コミックなど先鋭的なアート表現が表象した時代のキー・モード「世紀末」を反映してか、解体された世界に蠢く原初性を備えた有機体としての人間像を、裸体、白塗りメイクなどの意匠により、「おどろおどろしい」イメージをなかば意図的にプレゼンテーションしていた舞踏との世界観の親和性のなかで接点が持たれたのかもしれません。
舞踏と云われる踊りのジャンルは一つの時代、押しつけられたシステムに否を唱え人間に新たな可能性を示唆する前衛であり、それはジャンルは違えどもロックと云われる音楽のソウルが内包する宿命でもありました。
しかし当時、ほとんどの舞踏は形・イメージに安寧し出来上がったスタイルに収まってしまい、自身の体をもって希望を模索するという人間本来の欲望から溢れる速度とパワーは感じられなくなっていました。勿論、私どもは停滞する状況に耐え得る資質を幸いにも持ち合わせていませんでしたので、活動の場を業界に留まらず新たな領域に拡げようとしていました。それが奇しくもhideさんのパワーが全開し始めるソロ・デビューの時期と重なることに少なからず因縁を感じます。
多分、私どもがhideさんに「出来合いの舞踏のイメージ」だけしか提示していなかったならば恐らく、真摯にしかも熾烈に音楽と向かい合う彼との仕事は一、二回で終わっていたのではないでしょうか。私どもは多種ジャンルのアーティストたちと数多くの共演をしてきましたが、hideさんとの仕事の時だけは、メンバーは皆生き生きとしていました。
友人、家族、仕事と、多くの人間関係は日常生活というシステムのなかで、望むと望まざるに関わらず織り込まれ続けます。それが創造的であるのか享受させられたものなのか安易に判断することはとても難しい。「意味」という人間にとって超多様な価値を咀嚼するのに疲れた時「人間力」というしたたかな律動を発する人が側にいれば、誰しも束の間安らぐというものです。
hideさんと私どもの生き方は自然に共振し合えるものだったのかもしれない、と今更ながら思えてなりません。
hideと共に出演した数々のコンサート、テレビ番組、ビデオ作品をご紹介します。
1992-11-01 X JAPANライブビデオ「破滅に向かって VISUAL SHOCK Vol.4」
1993-12-30 X JAPAN東京ドーム、カウントダウンコンサート
1993-12-31 X JAPAN東京ドーム、カウントダウンコンサート
1994-01-21 hideテレビ朝日ミュージックステーション「DICE」
3〜5月 hide FIRST SOLO TOUR '94 HIDE OUR PSYCHOMMUNITY
〜hideの部屋へようこそ〜
1994-04-09 YOKOHAMA ARENA
1994-04-10 YOKOHAMA ARENA
1994-05-11 YOYOGI DAI-ICHI TAIIKUKAN
1994-05-13 CLUB CITTA KAWASAKI
1994-12-30 X JAPAN東京ドーム2days 30日「青い夜」
1994-12-31 X JAPAN東京ドーム2days 31日「白い夜」
1995-11-29 X JAPAN「DAHLIA TOUR 1995-1996」スタート 全国ツアー
1995-12-30 X JAPAN「DAHLIA TOUR 1995-1996」東京ドーム カウントダウンコンサート
1995-12-31 X JAPAN「DAHLIA TOUR 1995-1996」東京ドーム カウントダウンコンサート
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千葉マリンスタジアムに設営された巨大な滝のなかで踊る。 |
1996-09-08 千葉マリンスタジアム "LEMONed
presents hide Indian Summer Special"。友惠しづねと白桃房の「滝舞踏」が行なわれた。
9〜10月 "hide solo tour 1996 PSYENCE A GO GO"
1996-09-04 横須賀芸術劇場 (FAN CLUB GIG PSYENCE)
1996-09-12 福岡サンパレス
1996-09-13 福岡サンパレス
1996-09-15 松山市民会館
1996-09-17 大阪城ホール
1996-09-21 名古屋センチュリーホール
1996-09-22 名古屋センチュリーホール
1996-09-24 倉敷市民会館
1996-09-26 広島厚生年金会館
1996-09-28 石川厚生年金会館
1996-10-01 札幌市民会館
1996-10-02 札幌市民会館
1996-10-08 新潟県民会館
1996-10-09 新潟県民会館
1996-10-11 静岡市民文化会館
1996-10-13 仙台サンプラザ
1996-10-14 仙台サンプラザ
1996-10-19 代々木第一体育館
1996-10-20 代々木第一体育館
1996-12-30 XJAPAN「DAHLIA TOUR FINAL」
東京ドームカウントダウンコンサート 30日「復活の夜」
1996-12-31 XJAPAN「DAHLIA TOUR FINAL」
東京ドームカウントダウンコンサート 31日「無謀な夜」
1997-01-17 hideテレビ朝日ミュージックステーション出演「Hi-Ho」
1997-01-20 hide NHK ポップジャム出演「Hi-Ho」
1997-08-26 hideプロデュース オールナイト・クラブ・イベント "hide presents
MIX LEMONed JELLY" 5会場のクラブ(YELLOW、DX3000、MO、蜂、OJAS)
+友惠しづねと白桃房のスタジオをテレビ電話で繋いだ。
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場内に設置された満天の星(照明)のなかで踊る。 |
1998-05-02 hide逝去
1998-08-14 オールナイト・イベント hide
PRESENTS MIX LEMONed JELLY 1998"ヤッチャッテ!!"。私たちは、
hideに捧げる「星舞踏」をおどる。
10〜11月 hide with Spread BeaverTour appear!! "1998 TRIBAL
Ja Zoo"
2002-10-12 hide's PSYCOMMUNITY Special!! 〜junk Story出演(
代々木第一体育館)
2003-08-29 hide musium MLJ前夜祭 出演
2004-04-03〜29 hide 7回忌 Memorial Project hide FILM GIG TOUR 映像出演 よこすか芸術劇場、東京国際フォーラム
他
2004-05-02 hide Memorial Day 7th Aniversary in hide Museum
hideさんのソロ・デビュー曲「ダイス」から「hurry go-round」に至る作品群のパワフルな変遷は、ひとりのロック・アーティストの清廉な生き様を表徴するに充分です。私どもは彼のことを哀惜を込めて尊敬します。
今後、人間の核心にまで豊穣に跳梁した彼の作品は、その深淵さゆえにこそより多面的視座からのアプローチが望まれます。
蛇足ながら、私は知らぬ間に彼の遺作「hurry go-round」に日本の代表的詩人である宮沢賢治の作品に隣接する叙情性を感じてしまっていました。音楽、文学、踊りというカゴから飛び出した小鳥たちは楽しそうに遊んでいます。それらは全て日々の現実という事柄に息づいている景色なのです。
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