パリ国立オペラのオペラ・バスティーユにあるアンフィ・シアター(円形劇場)は、照明、音響機材など近代的設備が整ったキャパシティー450人の中劇場。
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台北のブラックボックスの劇場 |
2006年、台北国立実験劇場(ブラック・ボックス、キャパシティー200人)で、台湾伝統オペラ劇団「ガンジン・シアター」のお化けと人間の恋愛をテーマとしたコミカルな古典作品「朱文走鬼」が上演されました。
私の演出による本作品の出演者は役者4名、古典楽器演奏家7名。ゲストとして私の主宰する舞踏カンパニーからメンバーを一人(芦川羊子)参加させました。
私の演出法は、今を生きる役者、演奏家含め出演者それぞれのからだの持つ力と情緒を存分に謳歌させることを、まず念頭に置きます。これは、私の舞踏作品においても、一貫して標榜し続けている姿勢です。形とは美の形式として絶対性を有しながらも、常に産み出され続ける動的なものとして捉えていますので、単に人を形に当て嵌めることを嫌います。
台湾の伝統劇団の場合、衣装、髪型、メイクまで古典的な意匠が為されていましたが、私は出演者の個性を活かすために、全て現代的な意匠のものに換えました。女性役の靴は纏足を連想させる靴底の高いものを使用していましたが、モダンダンスもやっているという役者のからだには馴染まないと感じられましたので、低いものに換えました。
設営舞台=舞台美術は能舞台から連想しました。私には舞台装置という発想はありません。普遍に通底する個人の生き方、存在性に直接関わるものですから全て舞台美術と捉えます。分かり易く言えば、人と住居の関係と同じです。自分が暮らす家のことを装置とは言いませんし、普段使うコップも小道具とは言いません。それらは人の生活に密着し、人類史まで背負っている訳ですから、限りなく人間的なものであることにおいて美術とみなします。
ですから、舞台美術はそれ自体では単独には成立させません。出演者との関係の中で、出演者の個性を際立たせながら、舞台に詩情を誘(いざな)うものとして共存します。当然、出演者それぞれの個性にも影響を受けます。
私の舞台美術はそれ自体での発言を控えるようにシンプルですが、テクスチャーと、寸法にはミリ単位でこだわります。出演者との多彩な関係の中で劇場空間に「抜け」を創ることを重視するからです。「抜け」とはそれが誘(いざな)う情緒を醸すことにより、意味の深奥の襞でのヒューマン・コミュニケーションを可能にします。言葉で置き換えるなら演劇の脚本よりも環境に即応する俳句の詩情に馴染むものかもしれません。
私は舞台空間を呼吸させるような照明プランを心がけています。
照明にはカラー・フィルターは使いません。舞台を色で染めると出演者はシーンに組み込まれてしまい易くなります。舞台の色彩は出演者それぞれの個性を滲ませることで、より多彩なコントラストを得ることができ、シーンに自然な奥行き感が産み出されます。
この作品は台湾台新芸術賞の大賞を獲得しました。この流れからパリ公演が決まりましたが、私の演出コンセプトは変わりません。ただ、劇場の形状とテクスチャーが大きく違ってきます。
円形劇場は'95年、私は同じフランスのリヨン国立劇場で経験しています。
私は観客を含めての劇場に集う人々相互の関係から舞台を創ろうとしますので、同じ作品でも、劇場内のエレメントの親密で微妙なバランスから新たな作品として導きます。ですから、その都度、設営舞台=舞台美術や出演者の場当たり、照明や振付けも大きく変わります。リヨンの円形劇場でも同じでした。
しかし、台湾の劇団員達は西洋型の円形劇場はおろか、キャパシティー450人という中ホールも未経験でした。彼らは、そのことに非常に不安を感じていました。
今回は設営舞台と客席の間には、それを隔てるような広いスペース(グラウンド・ステージ)が横たわります。また、上手側と下手側の観客には舞台の見え方も音場も違います。
この問題を如何に解消し、舞台内の饗宴を観客と共有することができるのか?
これも、私特有の演出法ですが、「からだの意識」の調整を行います。これは舞踏の場合ですと「振付け」と不可分になります。
からだと顔の意識を固定化すると、一見、出演者の存在感が増して見えます。これはからだの意識を固定化したことで、舞台空間内の多彩なエレメントと断絶することにより、からだや顔が浮き出て見えるためです。この方法ですとからだとシーンとの兼ね合い、ひいてはシーン間の関係が単なる組み合わせとなり、作品から生の必要条件としての叙情を奪います。出演者の存在は灰汁が強くなり、強くは見えますが「抜け」という情緒を誘う美が損なわれます(より詳しい解説をお知りになりたい方は、'09年「日本顔学会」に特別寄稿した「舞踏の顔」をご参照下さい)。
図面はパリのオペラ・バスティーユ、アンフィ・シアターでの作品のためのデッサン図面の一つです(プロデュース側の相次ぐ変更要請により、私は今回のために20枚近く図面を描き直しました。本番はこれと違います)。
Aは設営舞台(舞台高23cm)、Bは演奏家席(舞台高4.5cm)、Cはアート・ワーク(私の要請により作られた美術は、公演現場に間に合いましたが、イメージに合いません。私はこれをキャンセルし、本番前日、図面を描き直し、照明プランを変更しました)。
設営舞台、グラウンド・ステージともにダンスマットが敷いてあります。客席の一番後ろ座席の高さは240cmです。
Bには7人の演奏家が座っています。役者は元より、彼らも未経験の劇場にどう対処したら良いのか不安です。演奏家のキャストが入れ替わりましたので、再度、図面の描き直し。演奏家の並び位置も換えます。
私の演出法は、全出演者、スタッフの個性にビビッドに反応していきます。例え、7人の演奏家の内一人替わっただけでも、その個性は作品全体に影響します。そのことを知らなければ、形が先行していることにも気付きません。活き活きとした舞台内の多彩なエレメントの力は逸(はぐ)れ、押し切ろうとすれば、作品は灰汁の強い、舞台にキャラクター人形を並べた押し付けのものになります。
「抜け」が誘う情緒は、それを捕らえようとすれば擦り抜け、諦め切った風景に強(したた)かに漂うものです。それは、日本文化を表象する最も大事なエレメントです。
演奏家には、仮想の演奏家席D(Bの1.32倍の寸法)を意識させます。
「実際に演奏する場所ではなくて、Dで演奏しているとの意識を持って下さい」。
この意識を持ちますと、緑色の部分に座る観客には、直接、音が届いていると感じられます。Dの位置と寸法は、舞台Aに立つ役者達の個性、存在感との関係と劇場全体に抜ける美のバランスから引き出しました。勿論、役者達にもこの劇場でのからだの意識の捉え方を別の図面で指示しています。
出演者達は、「これなら分かり易い」と、直ぐにマスターしました。
これは、私にとっては嬉しいと同時に脅威でした。
パリ公演は成功の裡に終わりました。
「日本と台湾両者間の連携が素晴らしい。公演は残すところあと一回、今夜催される。魅惑的な芸術の愛好者は、見逃すことのないように是非足を運ばれたい。」(フィガロ紙記者 Armelle Heliot 氏ブログより)
しかし私は、現代舞台アートの世界では先進国である筈の日本人のいかほどが、彼等のような素直なからだの感性を有しているのだろうか?との疑問に捕われました。環境に浸潤することで息づく東洋人のからだの特性その魅力を忘れている人が多いのではないのでしょうか?
近い将来、台湾、中国のアーティスト達に、抜かれてもおかしくはないな、と思いました。
尤も、私のアート・コミュニケーションへの姿勢は変わりません。いつでも同じです。どなたに対してでも。初めから、ずっと・・・。
今回の公演においては、舞踏がポピュラー・アートになっているパリではゲスト参加させた当カンパニーのメンバー(芦川)には、また別の批評座標が適応され、ひいては、公演全体の評価に影響を与えることにもなりかねません。舞踏が参加したことにより、万が一にも台湾の素晴らしいアーティスト達の評価の足を引っ張ることになってはなりません。演出家は心配の種が尽きません。
と、言いますのは、'83年、土方巽の演出、振付けにより、パリの別の劇場に芦川は出演しています。この時の批評は虐殺的とも言えるもので、土方の海外進出の夢を打ち砕くものでした。
理由は簡単です。当時、パリで既に受け入れられていたスペクタルに富んだ舞台を造る若手の舞踏家達と比べられたのも要因ですが、舞踏の形の確立を性急に求めるあまり、彼の舞台は振付け法においても演出法においても不備だらけのものだったからです。コンセプトが先行した強引なものだったと言えます。
土方没後、彼の後を次いだ私は、土方舞踏を実践の中で検証し、その限界を最初期の段階で知悉していました。そして、からだの表現を元にした現代舞台アートの創作法としての「友惠舞踏メソッド」を確立しました。
今回の作品に対しても、私の演出、振付けにおいては、台湾の出演者に施したそれも含め、充分な自信がありました。
しかし、緊密な見えない糸で成り立つ舞台というライブは、創造的な人生と同様に一寸先は闇です。その緊張感の中にこそ舞台アートの醍醐味が芽生えます。
終わってみなければ分からないということです。
ただ、手を抜いた生き方をしていなければ、詩神ミューズや天乃宇受女(あまのうずめ)がたまに遊びに来てくれます。
コラボレーション公演のこれから
今回は経費の問題から台湾、東京それぞれの稽古場をテレビ電話会議システムで繋いだ3日間の稽古を挟みました。
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リヨン-東京間のテレプレゼンス公演 |
テレビ電話会議システムによる遠隔2地点(例えば、東京とNYの会場)同時ライブ公演、講習会は、私達のシステム構築により1995年より20回以上行っていますので、私達にとってはお手のものです。この方法による公演(リヨンの劇場と東京、二カ所の会場)で'02年フランス・リヨン在住の音楽家達とBiennale Musiques en Sceneフェスティバルに招聘されました。
ただ作品演出の場合は、直接現場で立ち会うよりも手間は掛かることは事実です。しかしアーティスト同士の創作に懸ける熱意がその間隙を埋めてくれることは、言うまでもありません。グローバル時代の新しいアート・コミュニケーションの一つの形を提示できたとも思っています。
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演出する友惠しづね(東京) |
江之翠劇場の役者(台北) |
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江之翠劇場の役者(台北) |
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