37兆2千億個の人間の体の細胞にはそれぞれ心が宿っている
外部スタッフの照明家が、「このカミナリが鳴る踊り手が絶叫するところでは、舞台後ろから赤ゼラ(普通、商業舞台では演出手段としてシーンの状況説明をするために色付きの明かりを使います。例えば火事のシーンでは赤、夜のシーンでは青というように舞台上を照明手法による色彩効果を用います)の照明を当てようか」と言いますが、「いや、今回の作品は、余分な脚色は一切無くしたいので、舞台照明に色ゼラは使わないで下さい。踊り手本人の踊りの力量だけで勝負したいので(野外からの自然光やロウソク、薪の光で賄っていた嘗ての日本の芸能の舞台では、元々、舞台を色で染めるという手法はない。そこで能では漆塗りの能面の微妙な角度調整や、歌舞伎の隈取りというメイクによる効果を手法として確立した。私の舞踏では踊り手の体の内から滲み出るような皮膚の緻密な変容をプレゼンしたい)」と、友惠先生は言い切ります。
「宇受美(うずみ)の体だけ入るライト一本(実際には出演者の真上から当てるライトとシーリングという前からの当ての2本)だけ、きっちりお願いします」。
普通、西洋舞踊などでの舞台照明の基本はサイドライト(舞台の横=両袖からの照明)は欠かせないのですが、この時は意識的に使っていません。
「特にパフォーマンス系の舞踏ってオブジェのように裸で立ってるだけの行為に、神秘的な背景か哲学的メッセージがある風を装って、時代のパラダイムとの距離をコンセプトとして提示するものが多いよね。
アートという形態そのものにナタを揮い下ろすような、例えばデュシャンの『泉』(※1)とかジョン・ケージの『4分33秒』(※2)などの作品は、コンセプチュアル・アートとして美の在り方に革命的なインパクトを与えた。このような作品形態はTPOを読み切るセンスがポイントになるよね。
私は生身の人間の体の表現は不器用でいいと想う。人間の体はコンセプトで括れるような、作品の手段として収まり切れるほど器用には出来てない。37兆2千億の人間の体の細胞にはそれぞれ心が宿っているから、頭で統制し切ろうとする意志とやらに従う奴らばかりじゃない。本来、生き物の細胞は無作為に動きだす暴れ馬みたいなもんさ。
それらの多彩な力動を何とかしようと足掻いたところから踊りが生まれる。赤ん坊は踊りながら産まれるし、死ぬ時もまた然り。踊り手じゃない人なんかこの世にいない。それが生き物の条理。だったら、立っているだけでもいいじゃない。生き物の形は意志とは別のところでも産声を上げ続けているんだから。
ところが、ここに政治的な意識が多分に介入しちゃうと、その意味を伴った形は容易く変質してしまう。一つのコードを汎用とするコミュニケーションというのは効率はいいけど、切り捨てられるものも多い。
体という欣喜雀躍、怠け、渇望、惰眠、目覚め、あくび、陶酔、覚醒、統合、分裂を光速で流転する37兆2千億の細胞達によるコミュニケーションはいつも我が侭で切実。だからこそ、そこに詩も生まれる。そんな奴らと同居するから心というナイーブで頑な律動が味わう醍醐味のなかにこそ人生の妙味が現前する。
即興と形、必然性と恣意性が綯い交ぜに織りなす生き物の生存のシステムは一様という訳にはいかない。例えば、その多岐性、多様性に一つの規制を課すことでコミュニケーションの新たな在り方を提示してみる試みは脱即興という形、ポスト・フリーの一つの冒険と言えるかもしれない。
私は舞台に立っているだけという行為(規制)が踊りとして成立するのか?それが人類の生存の一つのあらましを表象し得るのか?私はこの課題に真っ正面から取り組みたかったんだ。
舞台アートという一つのコードを縁としながらも、舞踏という踊りの力が私達が日々生活していく日常も含めてどこまで信頼出来得るものとして有用なのか。
それぞれ溢れんばかり個性を持ち続けるお客さんと、もっと直に関わりたいもの。同じ有限な体を持つことで奇知に満ちたコミュニケーションを分かち合う人間同士として」と、友惠先生は言いますが、私の頭は混乱します。「体で考えて」と、友惠先生は言い切ります。
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<注記> |
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※1 デュシャンの『泉』:マルセル・デュシャンは、既成の物をそのまま、あるいは若干手を加えただけのものをオブジェとして提示する「レディ・メイド」の作品を数多く制作した。1917年、男子用小便器に『泉』というタイトルを付け、匿名でニューヨーク・アンデパンダン展に出品した。この展覧会は無審査で展示される企画であったが、委員会の議論により作品は展示されることはなかった。 |
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※2 ジョン・ケージの『4分33秒』:ジョン・ケージが1952年に作曲した曲の通称。第1楽章〜第3楽章まであり、楽譜にはそれぞれ「休み」とのみ記されている。音楽は音を鳴らすものという前提を覆す、「無音の」音楽である。演奏者は楽器の前で演奏することなく過ごす。その時間の長さがその演奏のタイトルとなる。『4分33秒』は初演時の際の時間である。 |
アートの根
嘗て、友惠先生のギター音楽に対する批評に、「その演奏には音楽に対する切実で根源的な問いかけが内包されている。具体的には音楽によって何が可能か?を果敢に試みている。ギターという楽器としての限界性と、音の領域を拡大しようとする衝動が破綻を臭わせつつ拮抗して、静謐なカオスを生み出している。テクニックには目を見張るものがあり、邦楽の宮城道雄に捧げた曲、異端的ブルース・フィーリングを漂わせた曲など、聴きどころは多いが、とりわけボトルネック奏法を駆使したラストのスロー・ナンバーが印象に残る。」(ラティーナ誌)がありますが、舞踏の場合、踊り手にとっての楽器は体ということになります。私は大変なことを要請されているのだと思いました。
「音楽家も踊り手も、体の管理ということに関してはアスリートと同じなんじゃない」と、友惠先生は言います。「スポーツの場合、勝ち負けがはっきりしている分、大変だよね。負ければ批判も浴びるし、結果を出せなければ、どんなに惜しまれようが引退しなければならない。アートの場合は評価の基準が曖昧だよね。だからといって、そこに安住していていいということではない。
古典芸能である能、その出演者である老齢の能楽師の美の査定基準に『枯れた芸』というのがあるけれど、それは、あくまで観客が創り出した美意識であり本人がその基準に寄りすがるというのは品性がない。品性とは清々しさのこと。
舞台に立つ人間は、その善し悪しは自分で決めなくてはならない。その意味ではスポーツと違い勝ち負けがはっきりしない分、アート表現は逆に厳しいのかもしれない。商業効率のために背伸びした文化コードに強引に嵌込んだだけの形をメソッドと称したり、過去の栄光に胡座をかき続ける懐メロ・アーティストだけにはなるつもりはないよ。いつでも生き物としての人間の心=体を大切にしたい。人の人生は真直ぐに伸びようとしても、なかなかそうはいかない。そこにポエムがある」。
形とエネルギーの昇華、作品構成としての音楽
上演時間1時間半の殆どは、雨、風、動物の泣き声など自然の効果音で成り立っていますが、この効果音のシーンの踊りの振り付けは、まず友惠先生が過去に創ったギターによる数曲の作曲作品(これらの曲は今CDとしてリメイク版を制作中です)に合わせて創られます。そして振り付けが出来上がってから、作曲作品を抜いて効果音に入れ替えられます。
「踊りを楽曲に合わせる必要がないからといって、この長丁場の作品の場合、流れに任せて即興的に振り付けをしていたのでは、作品を根底から支え人生というライブの生死観を胎動させるリズムが生まれない。日本の『間』といわれる美意識は空間のリズム、時間のパースペクティブ、これらの混淆から知らぬ間に、そして動的に(溶け合うように)浮きあがり立つ。他のジャンルではソウルとか根源性とかタオ(道)とか云われているところの」と、友惠先生は言います。
この作品で重層的に使われる効果音は、舞台上の踊り手の振り付け転換の切っ掛け出しにもなる重要な要素となります。
私は舞台下手前(舞台前面、客席から見て左側)に立つので、舞台の後ろで何が進行しているのかは自分の目では直接見ることはできません。肩甲骨のエッジで見ろ(背中がモゾモゾっとするから)と友惠先生は言いますが、具体的な振り付けの転換は全て、この効果音に頼る他ありません。
「観客を鏡にすれば、後ろのことが分る」とも、友惠先生は言います。
舞台本番中の音響ルームには5台のカセット・デッキが積まれ、舞台を見ながら振り付けのスコアを読む人、カセット・デッキにテープを入れ換える人、そして音響ミキサーを操作する右手親指にギプスをした友惠先生、3人の怒号が絶えず飛び交います。
この音響プランは友惠先生が、振り付けのスコアに連動させながら創り、側にいるスタッフに音響スコアを筆記させました。
「2時間くらいかな。寝惚けていたから、どうやって創ったか覚えてない」と言うほど、殆ど上演時間と同じ時間で仕上げられました。
「人生いつでも本番、寝ている時も惚けた時も」と、友惠先生は言います。「人生に予行演習は無いんだよ」と言っていた土方の講習会での言葉がダブります。いつでも即興と相愛する形とは緻密な計算と表裏一体の惚けた行為から産まれるものなのかもしれません。
「踊りの振り付けは、リズムや構成がしっかりしてないといけないから、例え本番上演では効果音に入れ替えるとしても、形がある音楽を元に創らないとね。振り付け先行の創り方だと作品の流れが押しつけ的というか、重くなるの(下手すると収拾が付かなくなる)。振り付けの足元に構成、リズムが無くなると作品に清々しい『抜け』という日本独自の美が出てこないのね。彼らを取っ捕まえるのは至難、いつも逆説で来るからね」。
今回の作品では友惠先生の作曲作品は3曲使われているだけですが、私はそのどれもが好きです。しかし、上演本番中は友惠先生の音楽を聴いている余裕はありませんでした。「それが、体で聴くっていうことなのかもな。舞台に流れる音は耳だけで聴いてちゃ間に合わないんだよ」と、友惠先生。
利賀フェスには芦川が他団体の作品にも出演したことから、その稽古のために先に会場入りし、2人合わせの踊りがあるために芦川に同行した私も、メンバー皆との稽古にブランクが開いてしまっていました。現地で久しぶりに合流し、リハーサルに入ると、友惠先生は愕然とします。「芦川の体の状態が全く変わってしまった。それにつられて、宇受美の状態もバランスが崩れてる。これじゃ作品が成立しない」、「1ヶ月前の大阪公演の成功で目算は付いていた筈なのに。ライブは怖い」、と。
土方時代、主演経験に馴れている芦川は元の状態に戻るのに時間が掛かりませんでしたが2人の踊りが合わない。友惠先生が注意すると「私は間違っていません」と芦川が言います。その言葉に友惠先生は激怒します「デュオを踊る2人が同時に間違えれば、それは間違いじゃないんだよ」と。
私達の公演の本番前夜、徹夜で稽古する私達が泊まる宿舎では、本番さながらの嵐が吹き荒れます。
「『娘の裸を何故、金を払って・・・』と苦虫を噛み潰していた御両親も、新幹線で観に来るんだろ。喜んで貰えなければ、私は死んでお詫びをする他ないよ。勿論、沢山のお客さんに対しても。この公演は80点では終われないの。100点か0点。そういう作品なの」。
女性コミック誌で演劇の一つの世界を描いた作品に「ガラスの仮面」というのがあるそうです。主人公の北島某という少女が物語の中で一本の木に成るそうです。
私は音楽や美術が好きでその道で生きていけたらと思っていましたが、どちらも上手くいきません。
それが、ひょんな事から自分の想像力から体を有りのままに使える舞踏という踊りを始めました。
焦ってしまうと吃音になってしまうので、言葉を使う演劇の世界は私には縁遠い世界だと思っていました。
しかし、私達カンパニーの活動の幅が広がってくると演劇の方達と同じ劇場で上演することも増えます。海外のフェスティバルなどでは批評は演劇は勿論、クラシック・バレエ、民族舞踊、伝統芸能などジャンルの違いを超えて比べられもしますし同基準で扱われます。私はそうした沢山の舞台アートの素晴らしさを体でゾワゾワッと感じるようになってきました。
「皮膚宇宙のマグダラ・一本の木の物語」は舞台アート史に残る作品と絶賛されましたが、「ガラスの仮面」を引き合いに出され一部の演劇人からは批判もされました。そのコミックを購読して演劇を始めようとする10代の子も多いようで、それは演劇の本質から外れるとの理由から迷惑だとの見解のようです。
友惠先生は「生き物は全て『生老病死』という宿命を担う体を受け負わされているからこそ、喜びと悲しみを享受させられる。そこに人間讃歌という詩も産まれる。
小学5年生の6月、学校から帰った私に、隣に住む5歳年上の親戚のお兄ちゃんが、『(入院していた)おばあちゃん、死んじゃったよ』と半笑いしながら言う。私は、ウソだいっ、と・・・。それ以降、私が喘息の発作の時に肘で体を引き摺って背中をさすりに来てくれる人は誰もいなくなったよ」。
「あなた、北島某なんだ。じゃ、私は月影先生」と、友惠先生は笑います。私も一緒になって笑ってしまいました。私がコミックの主人公のようにカッコいい筈ありません。
「よく(欲)がないのも、よく(良く)ないよ」と、友惠先生が言います。「でも、そこがいいのかな。何れにしても、生きているからこそ出来ることなんだから。死んでからでも踊っていたら人様に迷惑だよな」。「・・・生き物の体はノン・フィクション」、とも。
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息づく生命 いとしさじわり |
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「温かな感触の、美しい舞台だった。時の流れの中に立つ、老いた木と、若い木の、誕生、生長、死、再生が、表現される。
背景の壁は樹皮を思わせる微妙な色合い。破れた布を重ね合わせた衣装も、森の中から選び出したようなやさしい色で、しなやかに演者を包んでいる。柔らかな日差しの中で伸びやかに育つ若木。容赦なく襲うあらしに倒れる老木。自然の中に息づく生命のいとしさが、胸にじわりと広がる。
演じられる場と、舞がぴたりと合い、劇場は不思議な小宇宙になった。舞台が作りだす空気を呼吸するうちに、見る者の心も異空間を漂っていた。」 (扇田昭彦、朝日新聞) |
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