それぞれの命の資質を感じあうことで愛情豊かな関係は育まれます。
韓日文化交流の嚆矢として、日本でも幅広い活動を展開し続けるユックさんと私たち舞踏カンパニーとの出会いは1994年夏。当時、最先端の現代アートの発信基地として注目されていたキリン・プラザ大阪での私たちの公演でのことでした。
韓国のお墓「土饅頭」をモティーフにしたユックさんの美術と私たちの踊りとのコラボレーション。
公演打ち合わせのために私たちはユックさんの活動の拠点であるソウル、そして当時、ユックさんのアトリエがあったプチェンへの旅。けっして長くはありませんが、私たちにとっては、その後の活動にも影響を与えることになる大いなる結縁(けちえん)の芽生えを感じさせる旅を経験させてくれました。
私たちが初めて行く、時差も無く最も近い筈の外国、韓国。
ソウルの私たちが宿泊するホテルのラウンジでのユックさんと私たちの公演へ向けての数時間に渉る打ち合わせが終わると、彼から韓国流のおもてなしに招かれます。
現代の日本よりも儒教の伝統を色濃く残す韓国。ユックさんをホスト役に国立劇場のアート・ディレクター、映画製作者、音楽家と彼の友人達との酒宴の始まりです。
日本の万葉(8〜9世紀前半編纂の歌集)の歌人・大伴旅人(おおとものたびと)の和歌に、「酒の名を 聖(ひじり)と負(おほ)せし いにしへの 大き聖の 言(こと)の宜しさ」があります。
日本、韓国、また東アジアのある地方では、古来より酒は異界の神々たちとの神事に欠かせません。そして現代でも異なる者が内なる者へと解け合うための一つのイニシエーションの機能を担う装置ともなります。
それも度が過ぎれば、「わけもなく先ず乾杯だ乾杯だ」(現代日本の川柳・露の五郎)ともなりますが、そこまでも含めてアジアの伝統的なコミュニケーションのひとつのあり方を表象しているようです。その式次第は、心だけではなく、例えば杯を持つ腕を互いに交差させジンロ(アルコール度25%の蒸留酒)を一気飲みするというようなからだの知性を重んじることで成り立ちます。私などは、その日どのようにホテルに帰ったのか覚えていない有様です。現代では薄れて来た酒席で「腹を割る」という日本的コミュニケーションよりもはるかにハードな韓国流のそれに嬉しさも感じました。
翌日、ホテルまで迎えに来てくれたユックさんの誘(いざな)いでソウルを抜けプチェンへ向かう田園風景のなか、私たちは彼の美術のモティーフになる韓国の墓、野ざらしの「土饅頭」を散策しました。葬式といえば火葬が義務付けられる日本ではお目にかかれない風景です。日本の墓地の霊妙を醸す生死観とは一線を画す風情です。
夏草が生い茂る丘の斜面には、からだじゅうに雑草を背負う幾つものこんもりと盛り上がる土饅頭が自然の風景の調べのなかに溶け合うように露呈している。その間をぬって歩く私の足元からは、生命の簡潔にして最も尋常なる願いを孕んだ力が直に伝わってきます。
自然の様態と同じように人の心にもそれぞれ風雨があります。しかし、いかなる事情があろうとも生へのひたむきな願いを抱き続けざるを得ない強(したた)かさ。ユック・アートの淵源に触れたような気がしました。
キリン・プラザ大阪公演「眠りへの風景 友恵しづねと白桃房with陸根丙」(ゲスト・ミュージシャン-金大煥、吉沢元治)は、日本の現代舞踊・舞踏と韓国の現代美術との幾多の歴史を踏まえながらの初めての邂逅であり、隣接するからこそ、その差異が際立つこれからの韓日、アジア文化交流、ひいては多様化するグローバル時代の世界の文化交流の一つのあり方を示唆する大きな試金石となりました。
コラボレーションとは、互いにせめぎ合い、葛藤し、浸潤し合うことで新たな関係性から始まる芽生えを期待するものです。しかし、両者の関わりの前提となるのは、強き者は己を沈滞させ、他を受け入れ、逆に他に注ぐ豊穣なる力に満ちれば、どこからともなく嬉しさが涌きいずり、互いを強く引き寄せ合います。
ひとりならざるもの、その想いのために、からだで光と闇を咀嚼しようとする私たちの踊りはいつでも熾烈ですが、この世には必ずという願いを叶えさせる秘められているが隠しようもない気配を放つ優しさをユック・アートから五感を通じて感じさせていただきました。
私から彼への「歴史問題を含めて韓日の関係を乗り越えるためにはアートは何ができるのでしょうか?」との質問に、彼は「大変陳腐な話かもしれませんが、愛ではないかと思います」(ART MUSIC DVD 『Landscape on the Way to Sleep』 友恵しづねからユック・クンビュンへのインタビューより、2012年)と答えます。
愛、と呟くように、また確信をもって語るユックさんの言葉からは彼の人柄とともにユック・アート・ワールドの実相が如実に物語られているようです。
彼の膨大な作品群、その秘められた一隅からは人類への親しみからの呼びかけが絶えることはありません。
友惠しづね
舞踏カンパニー「友恵しづねと白桃房」主宰、舞踏家、音楽家
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