翼を立てて休む鳳凰の形に見立てられる鳳笙(ほうしょう)。その演奏を目の前で聞いた時、誰もがその音の圧力に圧倒されます。さらに笛や琴との演奏になりますと、演奏者も聴衆も音の波に同調し融合させられるのです。それは座禅の時に用いられる、版木や鈴という鳴り物に似ていて、聴覚を通り抜け、魂に直接空気の振動を伝えてきます。
あいにく茶の道を行く私は、あまり音楽に明るくありませんので、その深くは理解し得ません。茶を点てる時の事で思いますと、茶を攪拌する時に用いる竹で作られた茶究の音、お湯の落ちる音など、点前に於いてさまざまな音がありますが、それらは点前者の心向きにより、それぞれ異なった音になります。そこに心の動きが現れるのです。自分が茶を点てるという意識から離れて、茶を点てるという意識に自分が成り切ることで、より自然に一服の茶が点てられるようになります。
「蓮葉の玉」を聞きますと、むしろ音の波に乗るような心持になります。観客も奏者という区別もなく、同時に一体になり、自然に音の波に任せた時にこそ、本当に音を楽しむ事になるのではないかという気にさせられます。
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