2004年7月14日 秋田県立聾学校 友惠しづねと白桃房 舞踏公演とワークショップ |
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2004/07/14 秋田魁新報社 さきがけonTheWeb 掲載記事より
秋田市土崎港の県立聾学校(目黒知子校長、児童生徒36人)で14日、東京の舞踏カンパニー「友惠しづねと白桃房」が公演した。同時に行ったワークショップでは、児童生徒らがメンバーと一緒に風の表現に挑戦。体全体を使って表現することの楽しさを味わった。
同カンパニーが披露したのは、空から落ちてきた子鬼と、それを見守る地蔵を舞踏で表現する「蓮遙(れんよう)」。幼稚部から専攻科までの児童生徒、教職員と、同校を訪れた地域住民ら合わせて約90人が鑑賞した。
背景は特に設けず、踊り手の衣装もシンプル。子鬼役は頭に1本の角を付け、地蔵役の4人は首から布を垂らしただけ。「踊りが日々の生活とつながっていて、身近なものであることを感じてほしかった」と子鬼役のカガヤサナエさん(31)。子どもにも分かりやすいようにと、主な場面を描いた絵本をこの日のために作成して配布。児童生徒らは踊り手の豊かな表情や体の動きに見入っていた。
ワークショップでは、風の表現に挑戦。カガヤさんは「イメージに体を委ねてみよう」と呼び掛けた。人の形に切った和紙を持って軽やかに舞うメンバーの動きに合わせ、児童生徒も一緒に体を動かした。中学部、高等部、専攻科の生徒はさらに、風に乗って飛ぶ種が、土に根を張って大きな木に成長するまでの様子を表現した。
秋田魁新報社 http://www.sakigake.jp/
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秋田県立聾学校訪問に寄せて |
友惠しづねと白桃房 主宰 友惠しづね
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私達「友惠しづねと白桃房」では舞踏の様式ともなっている「白塗り」はしていません。また奇を衒った演出や挑発的な振り付けも避けてきました。それは、観客と踊り手が人としてより深いコミュニケーションの実現を目指してきたからです。
1994年「蓮遙」ニューヨーク公演ではニューヨーク・タイムズ紙が「従来の舞踏のカテゴリーを超えながらその根源を伝える『Beyond
BUTOH―舞踏をこえて』」と高く評価しました。地球環境、社会環境が21世紀の課題として取沙汰される昨今、「環境と共に生きる体の表現」によるコミュニケーションの可能性の探究は増々求められていくのではないかと思います。
この度、秋田県立聾学校で公演およびワーク・ショップを執り行わせて頂けることは私達にとって、とても嬉しいことです。私達の直接の師であり舞踏の創始者である秋田県出身の故土方巽の作品イメージ(過激な60年代アバンギャルド)とは現代に生きる私達の作品とは自ずと違ってきますが、私達としては「蓮遙」が皆様に楽しんで頂ければ幸いと思っています。 |
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「蓮遙」のできるまで |
友惠しづねと白桃房 主宰 友惠しづね
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「蓮遙」という作品の創作中のことだ。団員みんなと稽古場界隈のお地蔵さん(石仏・地蔵菩薩)を訪ね歩いた。雨の日だった。傘を差した十人程のメンバーが街中のお地蔵さんを取り巻き、あーだこーだ囁きあったり触れてみたりするのを見て、通りすがりの人は異様に想ったことだろう。稽古場に戻ると大雨になっていた。そこでお地蔵さんとは何物なのかと話しあった。誰かが「お地蔵さんの肌は、『朽ちてごつごつしているのに』優しい」と言った。みんなも頷いた。別の人が「普通の石と比べて『触った感じ』お地蔵さんは温かい」とまことしやかに言った。二、三人がちょっと間をおいて納得したように頷く。他のメンバーはその場で普通の石に触っていなかったことを悔やみながらも、遅ればせながらも同調した姿勢を隠せなかった。そんなメンバーの様子を眺め回した発言者はしてやったりと一人ほくそ笑む。雨音はますます強くなる。最後に私が「つまり、今私たちは雨に濡れていない。お地蔵さんは濡れている。そこが違いさ」と、その場を締めくくる(おいしい役割だ)。みんなが如何にもわかったように静かに頷く。そこからもたくさん稽古を重ねた。いろいろなことを話しあった。作品はそう簡単にできるものではない。だけど、何やってもお地蔵さんなら許してくれている気がした。お地蔵さんの顔は風雨で摩滅していても透き通った笑顔をしているから。
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