身・心・魂 律動の感想 Kさんより
康黍教育医療基金会のおかげで、私たちがん患者は、自分たち自身の努力を優に上回るような恩恵を受けてきました。以前から、毎週水曜の野外活動として、気功や登山活動を行っていましたが、抑制ホルモンのタモキシフェンの後遺症で、骨粗繋症や退化性関節炎になったり、更年期でひざの痛みを訴えたりする患者もいました。そんな折、陣旦娼執行真の縁故により、林雅嵐(リン・ヤラン)先生をお招きして、これまでにない「身心一塊」の律動についてのご指導をいただくことになりました。
4月12日から今まで、私たちはずっと林雅嵐先生の教えを体験し、模索し、感じてきました。私は学んだことを生活に取り入れて、いつでもどこでも心で体得し学習するよう心がけてきました。人にはその人なりの感じ方や考えがあると思いますが、私は特別で、且つ、奥深いものを悟ることができました。特に、7月26日文山杜教館での日本からいらっしゃった先生のご指導は、とても真剣で、また丁寧で、言語の壁を全く感じさせることなく、完全に心を通い合わせることができました。
当日、私は寝方が良くなかったのか、少々「寝違え」てしまったので、脇に立って見ているだけでいいと心の中で思っていました。けれど、若い受講生の一生懸命で柔らかく熟練した動きを見ていると、そんな煩いはすぐに消え、このカリキュラムが体の中に入って来て、「体験しなければならない、傍観者にはなりたくない」という思いに変わりました。不思議なことに「寝違え」は、薬を使うこともなく治ってしまいました!
まずは風の律動から始まりました。揺らめきながら柔らかく心地よい感覚の、なんと美しいのでしょう。私の動きは、やや不自然で、硬い感じはしましたが、私の心は、自分の体が動かせることと、風に乗ってひらめくような、自由気ままな感覚に集中していました。
次は木の成長です。種が風に運ばれてひらひらと落ち、主によって決められた人の宿命のように、快く全てを受け入れ、謙虚に土地に語りかけ教えを請います。それはまるで、私の生命が地中に根を張り、芽を出していくかのようです。自分自身を充実させ、養分を吸収し、健康で丈夫であってこそ大木に成長し、人生の雨風にさらされても嵐に襲われても、立ち向かうことができるのです。
大木は全てを受け入れます。私たちの生活も、受け入れることの連続です。私たちの健康や人間関係、人生の立てなおしなども、大木のようなものでしょう。風や太陽にさらされた時にも、根をしっかり張って、栄養を十分にとっていれば、人生の道について心配することなどあるでしょうか?
このカリキュラムに参加して、生命に対する認識を深め、あらゆる理非曲直に対する胸のつかえが取れ、人間性について更に理解できるようになりました。主がこのように、体を強化し、禅学をもち、魂のレベルを高めるカリキュラムを学ぶ機会を与えてくださったことに感謝しています。一つ残念なことは、時間が短すぎたことです。私たちはおそらく、まだ深く体得できていないにもかかわらず、良いものはいつでもあっという間に過ぎていってしまいます。
だからこそ私たちは、学んだことを大切にし、生活と融合させて全面的な理解をしないことには、更に邁進することはできないのです。
どうぞよろしくお願いします。 Tさんより
1991年、私の右側の乳房に2cmのがん細胞が発見され、切除しました。その後化学療法で、この生命をとりとめました。14年後、2005年、定期検査の時に左側の乳房に1.2cmのがん細胞があることが発見されました。情緒的なストレスが原因で乳がんが再発することは、私自身良く知っています。
今年の4月から康泰身心開懐クラスで、林雅嵐(リン・ヤラン)先生が、踊りによって自分をリラックスさせる方法を、私たち乳癌が再発した人たちのために無料で教えてくださいました。11回のクラスの中で、たくさんのことを学ぶことができました。特に最後の1回、7月26日に行われた、林雅嵐先生と日本からいらしていただいた「友恵しづねと白桃房」の先生の「空間の変化」は私を変え、授業の中で最も感動しました。
私はずっと母と折り合いがうまくいかず、母と娘が互いに傷つけ合い、とても苦しんでいます。
この授業で行われた「空間の変化」の中で、身体、表情、空間の変形、風の動き、空間の表情、赤ちゃんのはいはい歩きと木の成長を行い、踊る人の身体の音律と感覚を感じ、それらから心身一体となったような喜びと、豊富な創造力をとりもどすことができました。
ひと粒の種が落ち、地中深くで成長し、春夏秋冬の四季の変化や、陽光、水、空気、養分の潤いを感じ、時には大自然の災害に耐えて深く根をはり、再び陽光に向かって生きのびるメソッド。特に、この一粒の種は、終生動かないで育つ土地に、「どうぞよろしく」と語りかけること。これは私にとって大きな感激です。私が、私の母親や家庭に生まれたのは偶然ではなく、私が学ぶために、この家庭や父母を選んで誕生するように、天主が導いたのかもしれません。謙虚な気持ちで「よろしくね」と語りかけるとき、一切が同じものではありません。
この「自分が願う」心。
何の理由であれ、この世に生まれてきたこと。
それは自分の心の中で願ってきたのである。
自分が願ってきたのだから、天主にお応えする。
人生は悲しみ、歓び、離別、再会。
また人生は、生老病死に、必らずゆきかうのである。
「存在」することによって人生の歓びも悲しみも味わうことができ、「存在」することによって一切の可能を創造することができます。
あらたまった気持ちで「どうぞよろしく」という心から始まれば一切が違います。
一枚の形ある紙から、風の動きや吹き方で空間の変化を示し、また成長するには努力を惜しまず、勝ち取ってく。人が生きていくことはたやすいことではありません。もっと生命を大切にし、生きていることに意義があり、価値を持つべきだと思います。
以上が先生から学んだことです。
最後に皆様のご健康、ご多幸をお祈りいたします。どうぞよろしくお願いします。
|