TOMOE SHIZUNE & HAKUTOBO <Butoh> N0.001

磯崎新の「間-20年後の帰還」展 特別 公演

2000年10月9日 

「友惠しづねと白桃房」特別 公演


季刊ダンサート(No.20)掲載文

 友惠しづねと白桃房公演「蓮遙抄」
「間―20年後の帰還」展にて
 文:
shoko

「間のわからない人のことを間抜けと言います」というのは土方巽から聞いた。 23年前のパリでもこんなジョークを生んでいたらしい「間−日本の時空間」展 が、2000年10月3日から11月26日、「間―20年後の帰還」として里帰りした。 「間―日本の時空間」は1978年パリで開催され、日本の前衛アーティストを紹介、この後各地のフェスティバルで日本特集が企画される嚆矢ともなった。特に舞踏では土方巽、芦川羊子が招かれたが、舞踏の海外デビューとなった公演である。今回の「間―20年後の帰還」展会場は前年に開館したばかりの東京藝術大学大学美術館。監修は国際的に活躍する建築家であり、同展の企画者でもあった磯崎新氏。「うつ」、「みたて」、「もどき」、「ま」という4室に構成され、その中の一室「もどき」で毎週末、様々なパフォーマンスが行われた。


photo:Tsukasa Aoki, Butoh Satahiko Irisawa


 今回組まれたパフォーマンスのプログラムは、日本の古典及び現代の演劇、音楽、舞踊さらには声明、木遣などバラエティーに富んでいる。10月9日、友惠しづねと白桃房の舞踏「蓮遙抄」が上演された。振付・演出、友惠しづね。出演、入沢サタ緋呼、芦川羊子、美斗、加賀谷サナエ。一部芦川羊子のソロ二番、土方巽と友恵しづねの振付による。二部ヴォイスも交えた舞踏。三部「蓮遙抄」である。今回の最も大きな共演者はと問われれば、空間であったと友惠しづねは言うかもしれない。この会の終わったあとのインタビューで磯崎氏は、「この部屋でイメージがどういうふうに伝えられるかという時に、別の世界にいる魂みたいなものが石に宿って、影に宿って、舞台の意匠の樹にうつって、それが演者にうつったのが始めて観客に伝わるというそういう構造になっているんですよ。それが日本語でいうと『霊(ひ)』になるわけね。僕はそれを実際にやっていただいたという感じがしますから、これで、この展覧会のこの部屋作った甲斐があったという感じです。素晴らしかった。」と語っている。磯崎氏が仕掛け、準備した魂を友惠しづねが確実に感知し、観客の前に誘導していったのだろう。主役の入沢サタ緋呼は、10年間の肉体の鍛錬が繊細な美を作り出し土方―友惠メソッドの結晶ともいえる澄明な存在感を示した。

 間展で海外に衝撃を与えて23年、舞踏の始まりから40年余、この間に舞踏はどのような経路を辿り、今後どこに行き着くのだろうか。「多くの批評家が舞踏はいかなるものであるか述べてきており、その動きの裏にある意味はごまかしであるという人もいる。」(オレゴニアン)という、これは1992年に書かれたものだが、海外では舞踏に対する不信感は当時からあった。しかし批評精神の惰弱な場で安直な白塗り、形だけの歪み、舞踏的アイテムを舞台に並べて足れりとしている舞踏家、批評家が跋扈しているのではないか。舞踏の本来は美のカテゴリーを拡大し、新たな美学を創出する、そしてライブであるゆえにそれは終わるということが無い、そうした人間のあり方であったはずだ。それが舞踏っぽさ、芸術ごっこの自家中毒に陥っているのではないか。 伊勢神宮の20年毎の式年造替を磯崎新氏は永遠性についての日本独自の型であると言及している。そしてパフォーマンスが行われる「もどき」の間は、模倣と反復により初源をもどく、つまり永遠性を物質化するかわりに永遠性という概念を一つの記憶装置に埋め込む間であると規定している。舞踏もその期限をかりるなら始まりから二世代、海外流出からでも一世代が経過している。友恵しづねと白桃房の舞台では現在白塗りはしていない。表現の強さを出すためには白塗りをした方が舞台上でははるかに楽である。白塗りは舞踏のスタイルとして認証されているし、白は光を強く反射するから舞台上で存在感は強調される、禿頭、裸体であればなおさらである。しかし友惠しづねは身体の表現力だけでそれだけの強さを出すためのトレーニングをメンバーに課し、達成してきた。大野慶人氏が「天才舞踏家」と賞賛を惜しまない友恵しづねの、スタイルに堕することなく生成の瞬間を提示しようとする意志、丹念な妥協しない作業が今後益々必要とされてきている。舞踏の初源をもどくために。


photo:Naritada Takahashi

 「間」の意味を広辞苑から抜粋してみる。空間、時間、へや、ほどよいころあい、しおどき、機会、めぐりあわせ、リズム感、台詞と台詞との間に置く無言の時間、など。磯崎氏は帰還が20年後であった理由に繰り返し言及する。間は日本人の生活、文化そのままであり誰もが瞬間ごとに感知していた。当時日本に持ち帰ればトートーロジーによる無理解、批判に陥るしかなかったが、20年という時間が世界の様相を変え、帰還は意味を持ってくる、と言う。例えばあなたが電車に乗る時。隣に座る女の子がおもむろに携帯電話をチェックしはじめる。この人との距離は何cmなのだろうか。あなたはあなたでメールの着信を内ポケットのバイブレーターで確認するかもしれない。携帯で話す彼女とあなたの座る距離は5cmとは離れてはいない。しかしその時両者が身近に感じているのはメディアやネットワークの彼方にいる相手である。現在われわれの現実空間の中での関係性はヴァーチャルという現実に侵食されている。侵食というよりもそのヴァーチャルな層へ当事者が移行してしまう。もしこのツールがなければ互いの体温を感じあったりもできる距離は測定されることもなく、遮断されている。こういった環境にあって「間」は何を意味していくのだろう。友惠しづねと白桃房では数年来テレコンファレンス、ビデオミックスなどを利用したマルチメディア・コラボレーションを重ねてきている。その一環としてインターネットウェブ上での独自の表現にも取り組んでいる。インターネットは完成にはまだ遠く、身体を取り扱う者としては警戒すべき媒体でもあるが、もともと舞踏は実験性、前衛性を生きてきている。メディア(「間」でもある)の変革とそれに伴うコミュニケーションや様々な関係性の変貌、その中での身体を考えていくことがこれからの世界にとってアートの重要な使命ともなってくるだろう。「間」は「魔」にもなるのだから。

photo:Hidehiro Katoh